占星学と心の探求

占星学の心理的・エネルギー的・構造的視点

占星学の限界とその先

占星学(占星術)を10年20年やってみれば分かるが、ある程度学ぶとその知識探求において限界点みたいなものが見えてくる。それは占星学そのものの限界点ではなく、今の私たちにとっての知識限界点という意味。

12星座(12ハウス・惑星)の区分は様々な象意を含み持つが、そのほとんどが占星家の「感性」によって生み出されたものすぎない。キーワードがいくらあってもそれぞれが勝手に感じたものを言葉にしたにすぎないので、きちんとした「構造」として形あるものになっていない。

科学なら、分子構造にしろ素粒子構造にしろ、しっかりした形みたいなのがあって、それを元により大きなものへ(多様なものへ)広がっていく。構造的な形がしっかりしてるから、それを元に論理的に多様な姿をイメージできる。

残念ながら今のところ占星学(占星術)にはそういう型(構造)がない。だからそれぞれの占星家が勝手気ままに感性でいろいろなキーワードを生み出してしまう。元の構造がないために、それは混乱しか生み出さない。そのせいで初級・中級的な知識はあっても、その先のより深い知識への道が閉ざされてしまっている。


名の知れた占星家の多くが、初級者相手の初級知識を教える初級講座ばかりやっているのも、それが原因だ。科学ならより専門的知識へ移れるところを、占星学にはそこまでの道のりがない。たまに上級者向けの占星術講座があっても、その実は「その占星家の自己的な経験」による「自己的な知識の披露」にすぎない。

科学的思考が「普遍性・一般性」を追求するものだとすれば、占星学もそれと同様のものを追い求めなければならない。一個人の勝手な感性に頼る象意(or 知識)では普遍性にたどり着けない。

元となる型(構造)に思いを馳せ、それを元に様々な占星学的象意をまとめるべきではないかと。でないと、いつまでたっても初級・中級の厚い壁から先に進めない。私がこの壁にぶつかって悩んでいたとき、ヒントになると思ったのがシリウス革命にあったこの図だ。

シリウス-幾何図形

私は数学に強くないので詳しく分からないが、意識の発展がこの図のように進んでいくと仮定したとき、様々なものを統合できる可能性を感じた。それは言葉や感性よりもっと根源的な「図形の発達過程」だからこそ、その抽象性の中に様々な具体的なものを含みもてるのではないかと。



それ以降、私の占星学的探求はこの図を元に行っている。

・元となる4つの方向性があって
・それが5で回転し統合され、6で反映として現実化し
・7、8で他と融合し
・9,10で集合性を帯びる
・1つの座標系として完成したそれは、11,12で座標系そのものを遷移させる

言葉やイメージから始めるのではなく、幾何学図形から始めることによって、かえってその抽象性から具体的なものを導き出せるのではないかと。これなら占星家の勝手な感性に振り回されなくてすむ。抽象的な概念図を元に、そこに当てはまる様々な具体的なものを整理していけばいい。

この考えに至ると、様々な科学―自然科学・社会科学・人文科学・応用科学がすべて占星学の範疇に入る。「基本的な型を元に、形るものを成し、さらにそれを大きく発展させる」という、その概念的形だけが存在するからだ。すべてはその順序に合うよう当てはめれば良いということになる。

それによって窒息していた占星学知識探求に新しい道がひらける。現代人が到達したすべての知識に、この概念図を元にした占星学的視点を探っていけばいいと。


その中で私が見出したものは、

(1)医療占星学の分野

医療占星術の分野はそれまでの知識が残っているので、それを元に現代医学の知識と照らし合わせ、この概念図に集約できるのではないかと。まったくなにもないゼロの世界から始めるより、それまでの経験がある医療占星術を使ったほうが進みやすいだろうと。幸い現代の医学知識は脳科学・遺伝子科学・分子科学レベルで探求されているので、より真実にたどり着きやすいのではないかと思った。

(2)社会学・言語学・宗教学・心理学の分野

これらは先にあげた幾何学的図形(構造)を、より具体的な意味付けするのに適していると思った。意識発達、あるいは物事の発展順序を、その抽象性の中にいろいろな科学分野から具体的なものを当てはめていくと。

ただ単に抽象的な図形発達があっても意味をなさない。そこに実際的・現実的なものを1つ1つ当てはめていってこそ、その図形の具体的な姿が見えてくる。そのための知識としてこれら様々な分野のものが使えると思った。



今のところ、私が見出した占星学の新しい突破口はこの2つ。これだけでも一生かかっても追いつかない。だが、この2つだけでも新しい可能性としては十分。他に突破口があるとしたら、それはぜひ貴方に見つけ出してほしい。

今の占星学界に必要なのは「新しい突破口」なのだ。これだけまともな占星家がいながら、新しい道を開けていない現実。大きな壁にぶち当たっている現実。それに目をそらし安易な道に逃げるのは自由だが、もし貴方が真実を追い求める勇者なら、この壁をぶち破ってみてはどうだろう。

お隣の科学世界では、日夜そういう勇者たちが新しい挑戦をしている。同じ真理の探求者として羨ましくないだろうか。彼らに先を越されていて悔しくないだろうか。占星学だって人類の役に立てるはずなのだ。

道のない道をゆく。そうやって真実は見出されていく―。


逆行と会合周期

逆行というと、「その惑星において何か良くないことが起こる時期」と解釈されたりする。だがそもそも逆行とは何か?を考えてみれば、そこにはもっと深い意味が隠されているような気がする。

逆行は地球から見える見かけ上の動きにすぎない。それは太陽を中心軸とした、地球・対象惑星との相互関係によって生まれる。



地動説ではこの意味はなかなか見えてこないが、天動説で捉えてみると面白いことが見えてくる。地球を中心として月→水星→金星→太陽→火星…と同心円状に綺麗に並んだのが天動説世界だとご存知だろうが、実はこれは正確ではない。

たとえば、地球からの火星の見え姿は時期によって小さく見えたり大きく見えたりする(暗く見えたり明るくみえたりする)。その理由は、太陽系の中心は太陽であって惑星の公転軌道・公転周期によってお互いの距離が変化するから。

2018年で言えば、地球と火星は最も近づく距離で5759万km、最も離れる距離で2億9307万kmまでになる。これが見え姿としての違いになる。だから正確には「地球を中心軸とした搬送円上を、周転円が回るエピサイクロイド曲線」となる。

retrograde_2.jpg retrograde_3.png



つまり、その惑星が近づくときと遠ざかるときがあって、逆行というのは「その惑星が地球に最も近づくとき」にあたる。単純に【距離の近さ=エネルギーの強さ】と考えた時、1)逆行期はその惑星エネルギーが最も大きく発揮されるときと推測できるかもしれない。

さらに、惑星が描くエピサイクロイド曲線を眺めると、そこには逆行(会合周期)を頂点とした幾何学図形が描かれることが分かる。



この図形という視点においては、逆行は「線分の方向を変える起点」になっている。単純に【方向=エネルギーの質】と考えた時、2)逆行期はその惑星エネルギーの質が変わるときと推測できるかもしれない。

retrograde_4.png

この幾何学図形は、それぞれの公転周期・会合周期によって決まり、以下のようになる。これらから推測するに、会合周期によって作られる図形が完成する時間には何か意味があるのではないだろうか。そして、その図形の頂点をなす逆行(期)にも、何か意味があるのではないだろうか。

問題は、この図形が完成する時間(周期)だ。木星以降の外惑星ではそれは公転周期とほぼ同じになっている。だが金星と火星においては公転周期とまったく違う、新しい時間軸が現れている。

・金星=7.99年
・火星=14.95年

これは一体なんの時間なのだろうか。
それになぜ内惑星と外惑星で、公転周期との違いが現れているのだろうか。

retrograde_5.png retrograde_6.png



占星術では、惑星の周期性を「1つの意識が形成される期間」と捉えている。

木星なら
・木星が牡羊座~魚座まで一周する時間(12年)は、1つの世代意識が作られる時間
 (団塊世代、新人類世代、バブル世代、団塊Jr世代、ゆとり世代など)
・木星が一周してネイタルの位置に戻ってくる時間(12年)は、自己にとって世代的意識が作られる時間
 (年少期、青年期、成人期、壮年期、中年期、老人期など)

土星なら
・土星が牡羊座~魚座まで一周する時間(29年)は、1つの広義の世代意識(親子間)が作られる時間
 (団塊世代→団塊Jr世代→さとり世代)
・土星が一周してネイタルの位置に戻ってくる時間(29年)は、自己にとって広義の世代的意識が作られる時間
 (子供→親→祖父母)

この周期性は「公転周期の時間によっている」と考えてしまっているが、本当にそうなのだろうか?木星以降の外惑星においては、「公転周期」と「12星座を一周する周期」と「会合周期によって図形が完成する周期」が、ほぼ一致している。

だが内惑星においては、これらはみんなバラバラなのだ。

公転周期では
・水星 58.6日
・金星 224.7日
・火星 686.9日

12星座を一周する周期では
・水星 ほぼ1年
・金星 ほぼ1年
・火星 ほぼ2年

会合周期によって図形が完成する周期では
・水星 ほぼ1年
・金星 8年
・火星 15年


惑星意識などと言われるこの意識は、一体どの周期を元にしたものなのだろうか?もし内惑星(火星・金星・水星・月)にも外惑星と同様、それぞれの惑星が担当する周期性による意識があるとするなら、それはどの時間を見ればいいのだろうか?

実は私たちが思っている以上に内惑星の謎は深いのかもしれない。

少なくとも周期性には

1) 自転周期
2) 公転周期
3) 12星座周期
4) 会合周期

の4つがあると思われ、それぞれ担当する次元意識のようなものがあるのかもしれない。






(資料)
------------------------------------------------------------
●地動説での逆行説明

●天動説での逆行説明

●火星の逆行の動き

●惑星の見かけ上の軌道が描く図形

●惑星の見かけ上の軌道が描く図形(水星)

●惑星の見かけ上の軌道が描く図形(金星)



「救い」と「癒し」 -海王星の表と裏-

「救い」と「癒し」はイコールではありません。
救いは、癒しの中に含まれているとは限らないのです。
救いを伴わない癒しもあるからです。

救われた人が、すべて癒されるというわけではありません。
逆に、癒しを経験した人が、すべて救われているというのでもないのです。
癒しは、救いの証明ではないのです。

http://www.geocities.jp/barunaba/mat01

この牧師様の言葉がドスンと落ちてきて心から離れなかった。と同時にこれが海王星(魚座)の真の姿なのかなぁとも思った。

私たちはこの世に生きる存在だ。だからこの世でできる限り幸福でありたいと願う。いい仕事について好きな人と結婚し、お金や物に溢れ、何不自由なく好きなことを楽しめる。それこそ幸せなのだと。

だが海王星や魚座のある場所はそんな希望を悲しみに変える。どんなに一生懸命頑張っても、どんなに真面目に努力しても、報われないような状況。なぜ自分だけこんな目にあうのか、なぜ自分ばかりこんな辛いことを味わうのか。

幸福なんて言葉が嘘っぱちだと思えるような状況ばかり与えられる。



世の中には自己実現系などと言われる「なんでも自分の思い通りになることが幸せだ」という価値観にあふれている。スピリチュアルでさえ(バシャールのような)俗世的幸福を伝える。だが、彼らのいうことが実際に現実になっただろうか?

「ワクワクして誰もがハッピーに生きられる!」

そんな風に生きられるならこんなに不満ばかり世間に溢れているわけがない。誰もがそう生きられない、思い通りにならないと嘆き、その不満を訴えている。

その現実を前にして牧師様の説教が心に響いてくる。宗教家なので信仰という形で表現しているが、占星学的にいえば「海王星の公転周期」の秘密を語っているのではないだろうか。

海王星の公転周期は約164年。それは人間の一生を84年とすれば84年x2=約164年。

・生の時間=84年
・死の時間=84年

その合計を表す数字だと考えられる。つまり人間とは生の時間(意識)と死の時間(意識)の両方が合わさって、魂としての存在になっているのだと。



そういう観点からキリスト教的な説教を読むと、牧師様の言われている「癒し」と「救い」の違いは

・この世的な幸福と
・あの世的な幸福の

違いではないかと思われる。スピ系情報が教えてくれる内容は「あの世では想念がそのまま現実になる」というもの。つまり自分の思ったことがそのまま現実になる世界(想像的世界)。この世的な縛りがなくなり想像性=現実性という世界。

それが本当かどうかはあの世にいったことがないので分からないが、もしそうだとするとあの世というのは「想像できる」ことが重要なポイントになると思われる。

なぜなら自分が想像できないことは現実にならない。金を1億円持つことは想像できるだろうが、

・生きていることの有り難み
・自然や動物の素晴らしさ
・すべての人に感謝を
・すべての存在に愛を

といった崇高な気持ちはその人が様々な苦難を通して精神的成長を遂げなければ、想像することすらできない。



簡単なところではあなたが身体障害者だったとしよう。下半身麻痺で歩くことができない。常に車椅子に乗ってハンデを背負いながら生活している。その不自由さの中であなたは周りの健常者を見る。

・あんなに自由に歩いて
・あんなに好きに走って
・転んだり立ち上がったり運動したり
・何でも思い通りに動けている
・なんて素晴らしいんだろう
・なんて羨ましんだろう
・私もああなりたい
・でもなれない

そういう苦難を何十年と味わいながら「自由に動けることの素晴らしさ」を想像する。おそらくこの世ではその夢は実現しないだろう。でもあの世にいって想像が現実になるような世界になったら…

その時あなたが味わう幸せはどれほどのものだろう。それは健常者が当たり前のように動ける喜びとはまったく次元が違うはずだ。何十年も苦しみ、憧れ、様々な想いが詰まっている人にして初めて到達できる喜び。それは健常者では絶対に想像できないレベル。



この想像力を養うためにこの世の苦難というものがあるのではないだろうか。スピ系・宗教系の人がよくいう「魂的成長」というもの。

・人を思いやる
・人の悲しみ苦しみを理解する
・自分だけでなくみんなの幸せも願う気持ち
・毎日当たり前に生きられる喜び
・当たり前に食べられる、当たり前に歩ける、当たり前に愛し合える
・その1つ1つのありがたさ

どん底まで苦しんだ人だからこそ到達できる次元。意識がそれを想像できるということが、あの世での実現を約束してくれる。

それをキリスト教的に「救い」と呼んでいるのではないだろうか。「癒し」というのはあくまで俗世的幸福でしかない。それはあるに越したことはないが、あったところで魂の深い成長につながるとは限らない。

宗教が教える大切なものとは「あの世においての価値観」であり、もっと言えば「この世の価値観とあの世の価値観をあわせ含んだもの」と言えるのかもしれない。この世で味わう幸せは大切だが、この世では到達できない幸せもあるのだと。

すべては海王星(魚座)における、

・生の時間=84年
・死の時間=84年

の合計的視点につながっていると。



私たちはあまりに「死」を忌み嫌ったせいで、死後世界のことを無視しようとしている。この世こそすべてだと。そのために資本主義・科学主義を作り出し、その圧倒的機械力に飲み込まれて、それに苦しんでいる。

外から見ればどれだけ滑稽だろう。宗教が力を失ったせいでこれほどまでに「生の時間」が極端になりすぎた。

本当は「死」なんてすぐそばに転がっている。私たちが目を逸しているだけなのだ。あまりに行き過ぎた俗世的価値観。生と死は対等であるべきところを、そのバランスを失ったせいで私たちの魂まで歪ませられている。

宗教もスピリチュアルも今では俗世的価値観ばかり。資本主義機械に取り込まれ、そこからどれだけ金を取るかばかり考えている。だがそんなものはあの世にいったらそれほどの価値はない。想像すればすぐに現実化できるのだから。

私たちの成長にとって必要なのは

・想像できないものをどれくらい想像できるようになれるか?

であって、そこに他人への憐れみ・同情・思いやり・理解・慈愛・感謝といった真に価値あるものの存在意義がある。

この世とあの世を対等の価値観で見ること。もちろんこの世でできる限り幸せに生きられるに越したことはないが、往々にして苦難や試練こそ私たちの魂を(その想像力を)磨いてくれる。

ホロスコープにある海王星(魚座)はあえてそういう試練を与えてくる場所だとも言える。






正しき者の唇は、叡智を陳べ
其の舌は 正義を物語る
幸いなるかな 試練に耐え得る者よ
之を善しとせらるる時は 命の冠を受くべければなり
主よ 聖なる炎よ、憐れみ給え
おお、何と聖なる哉 何と静かなる哉
何と慈悲深き哉 何と情愛厚き哉
おお、清廉なる白百合よ


医療占星学 -泌尿器系-(3)

【腎臓のろ過機能について】

腎臓は不要物(老廃物)をろ過する臓器だが、そのろ過の仕組みが興味深い。まず一旦「原尿」という形で栄養分も一緒に捨ててしまい、その中から不要な老廃物はそのまま流して必要な栄養素だけを再吸収する。その量99%と言われるから捨てた分のほとんどをもう1度吸収し直していると言える。

泌尿器系2b 泌尿器系2d
泌尿器系2e 泌尿器系2c


なぜわざわざこんな面倒臭いことをするのか?については

・その方が恒常性を保ちやすいからだ
・未知なる毒素に対処しやすいからだ

などいくつか理由があげられている。これを占星学的に「意識の流れ」として解釈したらどういう風になるだろう。

前回の記事で書いたように、もし排出というものが「他者側への意識の流れ」を表すものだったとしたら、この腎臓のろ過機能は

・自分が受容・理解・吸収した出来事に対する意識を一旦他者側へ送る
・他者視点から見た時はどうだろう?
・他者の価値観を通したらどういう風に見えるだろう?
・そういう他者世界を一旦通した後に、再び自己側の世界へ戻す(99%)
・自己に必要のないもの(老廃物)は他者側へ流し切ってしまう(尿として排出=1%)

という方向性として例えられはしないだろうか。この7(天秤座)の意識を通した後ようやく経験を自己に血肉化(8=蠍座)できると。



それは他者側の世界(見方・価値観)を通すことが客観化という社会性(一般性・普遍性)を持つように仕向けているからなのではないだろうか。自己が自己のまま自分の内部の価値観だけで物事を見ていたら、その人はどんどん一般性(社会性)を失う。自閉症の人を想像してもらえば分かりやすい。他者との共通理解・共通価値を通すから「私の価値観」が他者にも伝えられるようになる。7・8が表す(初期の)社会性はこういった形で人体にも内包されているのかもしれない。

その時、原尿として捨てられ、そこから再吸収された栄養素は物質的には同じものだが、意識的には何か違うものになっているのかもしれない。

ただここで大切なのは、腎臓に流れる血液がすべてろ過されるわけではないということ。腎臓には心臓から送り出される血液量(心拍出量)の約20%が流れ込んでいる。1日あたりおよそ1500L~2000L。そのうちの約150Lが原尿としてろ過の対象になり、そのうちの99%は再吸収され、最終的な尿となる量は約1.5Lと言われている。

※人間の血液量は5Lくらいしかないわけで、それが1日1500L~2000Lも腎臓を通り、150Lが原尿になっているということはその循環回数がものすごいということ。これで老廃物(不要物)はほとんど取り除かれる。

つまり腎臓に流れる血液量の約10%がろ過の対象になっている。自分が吸収した栄養分+自分が生み出した老廃物の約10%。他者側へ意識を通すといっても自己対他者の比率で言えば圧倒的に自己側の方が多い。

この比率にも意味があるのかもしれない。



【腎臓の恒常性維持機能について】

人体には生体の恒常性を維持する仕組みがある。ホメオスタシスと呼ばれるもの。

・体温の恒常性
・血糖の恒常性
・血圧の恒常性
・浸透圧の恒常性
・pHの恒常性

多すぎても少なすぎても人体には害であって、ちょうどバランスの良いところを維持しようとする機能。腎臓にもそういう恒常性維持機能があり、そこから「腎臓=天秤座=バランス」を解釈しようとするのだが、どちらかと言えば恒常性は腎臓特有の機能というより身体全体に備わった機能と言える。

それは「神経系」と「内分泌系」の相互作用によって統括されている。腎臓の恒常性維持機能についてはそういう視点から見たほうが良いと思われる。

ホメオスタシスb ホメオスタシスa





(資料)泌尿器系と疾患表
泌尿器系_疾患


医療占星学 -泌尿器系-(2)

それは意識の発展段階において、8で一旦「外=他者」に向かって排出するモノ(あるいは意識)があることを示唆しているのかもしれない。排泄物が「汚い」というイメージなのは、それが自己存在にとって不必要だからであって、それを必要とする他者存在からすれば汚いものではないのかもしれない。

尿や糞便においては微生物。人間同士なら「精液・愛液」などであろうか。精液も8(蠍座=性器)から排出される。精液を汚い臭いと思う人もいるかもしれないが、慣れればあの匂いには独特の魅力がある。ついでに言えば排泄物にフェチが多いのも興味深い。女性の汗だったり体臭だったり。AVでもオシッコ系やスカトロ系には一定のファンがいる。彼らは異性(=他者)の排泄物に何を感じているのだろうか。

・尿・糞便などは他生物の食物へ
・精液などは他生命の創造へ

8においての「不必要物=排出物」というものが、実は(他生命・外環境という大きな意味での)他者にとって「必要物=供給物」につながっている。自己から何かを捨て去るエネルギー(切り離すエネルギー)は他者へつながる重要な意味があるのでは。


自然な流れにおいて「私たちが何かを捨てる」という行為は、自己を新しい段階へ進める(9=射手座)と同時に、他者に何かを与えている(7・8=天秤座・蠍座)のかもしれない。

心の意識作用としては、私たちが何か出来事を体験し(1・2)、それを味わい受けとめ(3・4)、貴重な経験として学びを得(5・6)、自らの血肉にする(7・8)。その際にそれを終えていらなくなったものを不必要物として心から消去する。

その時に見ていた細かな景色、人の顔、沢山の物、匂いや手触り。「印象が残ったもは自らの記憶として残される」が、そうでないものは捨て去られる。例えば1ヶ月前の晩御飯を覚えているだろうか。その色や味や皿の形など細かく覚えているだろうか。街を歩いていて見たビルの形、すれ違った人の顔、着ていた服装。その瞬間にはしっかり見えていたものが「必要のないもの=印象に残らなかったもの」は記憶から消去される。

私たちの記憶に残っているものは「日々の出来事から何かを得たもの」のことであり、味わい→消化・吸収→血肉化されたものと言える。そうでなかったものはすべて不必要物として捨て去られる。

だがその際に「捨て去られたもの」は、なんらかの形で(それが環境なのか社会なのか時間の連続性なのか分からないが)大きな意味での他者へ受け渡されている=与えられているのかもしれない。



そう考えると「排泄(排出)」という行為には「代謝によって生み出されたもの」という意味において、

・自己から他者へ渡されるモノ=お金・気持ち・思い出の品
・自己から社会(大きな意味での他者)へ渡されるもの=創造物・遺産
・自己から次世代(大きな意味での他者)へ渡されるモノ=遺伝子・新しい命

までをも含んだ「自己の成果物を他者へ受け渡そう」という譲渡的意味が含まれているのかもしれない。代謝とは自己活動のことであり、その結果生み出される老廃物とは不必要物であると同時に、逆の意味で言えば自己活動によって産み出された「生産物」と言えなくもない。それを必要とする存在からすれば「汚いもの」でも「いらないもの」でもなく水や空気と同じくらい必要なものだと。


私たちはこの自己から他者への流れを、老廃物(尿・糞便・汗・鼻水・フケ・おなら・目くそ鼻くそなど)という形での「排出系」、精液という形での「生殖系」として身体構造の中に包み込んでいるのかもしれない。

ついでに言えば、もしそういう風に考えたとしたら、意識成長における自己完結を目指した後、人は「他者に向かって己の生産物を与える=排出する」ことが必要になるのではないだろうか。

それが自分の才能の結果生み出される成果物(お金・モノ・知識)であってもいいし、人間性としての愛情であってもいい。自己が自己としてある一定の成長(1~6)を見た時、そこから生み出される成果物を他者へ与える。

もしそれができず

・自分だけで独占しよう
・自分の内だけで終わらせよう
・気持ちはあるけど苦手だからやめとこう

と自己内だけでストップしようとすると、7・8における排泄機能・生殖機能に何らかの障害が現れてくるのではないだろうか。泌尿器系・生殖器系周りのトラブル。



※より正確に言えば、自他間の相互作用である以上これは「与え合うこと」といった方が正しい。自己(わたし)から他者(あなた)へ向かう方向性は、他者側(あなた)から見れば「他者(わたし)から自己(あなた)へ向かってくる方向性」にあたる。

天秤座・蠍座が「与えるエネルギー」であると同時に「受け取るエネルギー」である理由がここにある。排泄機能・生殖機能周りのトラブルが「自己→他者への流れのつまり(or流れすぎ)」にあるとしたら、それは同時に「他者→自己への流れのつまり(or流れすぎ)」にあるとも言えるかもしれない。

おそらく女性に多いと想像できるが、

・自分ばかり相手に合わせる
・自分ばかり相手に与える
・相手から優しさや愛情をもらえない
・相手からもらうことに躊躇する

などの心理的問題があると、それが排泄機能・生殖機能に影響を及ぼすのではないだろうか。


Latest